都電荒川線ぶらり旅

 

 

 

「シルエットしもだて」の仲間達と都電荒川線に乗って沿線の昭和の匂いがする街並みや寺社を訪ねた。荒川線は東京に残る唯一の都電で「チンチン電車」の愛称で親しまれている。三ノ輪橋停車場で1日乗車券(400円)を買って出発進行。ドアが閉まるとチンチンと鳴って、続いてエンジン音ともにガタン、ゴトンと走り出した。

 

今回は自分の感性を大切に閃きで撮ろうと、あえて沿線の撮影ポイントを調べなかった。映画「ALWAYS三丁目の夕日」の舞台となった昭和の下町をイメージしてトイモードで撮ったが、これが失敗。後で気付いたのだが何処に何があるかぐらいは下調べしておくべきだった。

 

まずは荒川車庫前。下車してすぐ傍に「都電おもいで広場」があった。廃車となった都電が2台展示されていた。想像とは違って殺風景な展示だったので多少ガッカリしたが、展示車両は昭和の時代に銀座など都内の目抜き通りを走っていた路面電車だった。広場で黄色のジャンパーに都電の運転手帽を被ったボランティアの男性を記念に一枚撮らせてもらった。

 

荒川車庫前からは沿線風景を車窓から眺めながら一気に鬼子母神前にと向かった。こちらは「恐れ入谷の鬼子母神」の口上で知られる神社とは違うが江戸三大鬼子母神の一つ。境内に駄菓子屋があったが、創業が江戸時代の日本一古い店とは知らなかった。この後、歩いて護国寺に到着。丁度、境内には早咲きの枝垂れ桜が咲き始め、着物姿のご婦人達が茶会を開いていた。墓参りに来た手押し車のおばあちゃんを桜の下で一枚パチリ。さらに歩いて雑司ヶ谷公園墓地で夏目漱石の墓を見て雑司ヶ谷から飛鳥山に向かった。

 

飛鳥山公園の桜は一分咲き程度だったが気の早い花見客が大勢いた。同公園の旧渋沢邸内にある青淵文庫は国の指定文化財で窓辺のステンドグラスがきれいだった。停車場から途中、都電が唯一車道を走る場所があり歩道橋から路面電車を撮った。この後、庚申塚から「おばあちゃんの原宿」巣鴨地蔵商店街へ。「元気の出る赤パンツ」の店には赤いパワーにあやかろうと人だかりしていた。通りにはお年寄りばかりでなく若者達の姿も目立った。とげぬき地蔵前ではアベックの男性が「(お地蔵さまは)心の刺もぬいてくれるんだ」と何やら女性にうん蓄を語っていた。

 

 終点の三ノ輪橋に戻り、隣接する昔ながらの人気の商店街を訪ねたが、日が暮れて人通りが少なくなりシャッターを閉める店も多く、撮影もほどほどにして帰路に就いた。                                          2019.4

 

 東京散歩

 

2020年の東京五輪・パラリンピックを控え、都心は大きく変わろうとしている。そこで一泊二日の日程で「東京散歩」と洒落込んだ。スタートは東京の古き良き下町の面影を残 す谷中から。

 

実は40年前に同じ釜の飯を食った元同僚4人との珍道中。JR日暮里駅前の蕎麦屋で腹ごしらえをした後、ドラマや映画のロケ地として有名な「谷中ぎんざ」商店街を通り千駄木の街中から、徳川慶喜や渋沢栄一など歴史上の人物のお墓がある谷中霊園を巡り、上野公園を横切り上野駅まで歩いた。

 

下町のレトロな風情をカメラに収めたが手応えはゼロ、人や路地裏、店中にカメラを向けようとしたが、無断で撮ると怒られまいかと正直ビビッてシャッターチャンスを逃した。景気付けに蕎麦屋で熱燗一本飲んだが足りなかった。

 

上野からは地下鉄で浅草に向かい隅田川を水上バスで浜離宮へと移動した。江戸時代に造られた浜離宮はビルの谷間のオアシス。庭園の周りに汐留の高層ビル群が林立し、後方には東京タワーが見える格好の景観だ。庭園の一角に春を告げる菜の花と梅が爛漫だったのでビルを背景にパチリ。この後、歩いて銀座に向かった。夕暮れ時、銀座はネオンが煌めき始め、昼間とは別世界。4丁目から6丁目と歩き”銀ブラ”を楽しんだが、そこは田舎者。街の華やかさに目を上に下にとキョロキョロさせるばかり。元同僚が「そろそろ綺麗なお姉さんたちが来ますよ」と教えてくれた。銀座の高級クラブに出勤する女性たちが、この夜は生憎お目にかかれなかった。夕食はマグロの養殖に世界で初めて成功した近畿大学水産研究所の銀座店で新鮮な海産物に舌鼓。同僚たちとマグロの養殖地・和歌山県の地酒を酌み交わした。万歩計は2万歩を超し、足腰が筋肉痛で悲鳴を上げていたが、心地よい酔いに宿舎ではぐっする眠れた。

 

翌日は、丸の内の日本外国特派員協会を訪ねた。同僚の一人が同協会の会員のため入館が許可され、時の人や著名人がインタビューを受ける記者会見場を見学。また三島由紀夫やアントニオ猪木とモハメッド・アリとの世紀の一戦など昭和、平成の歴史を飾った数々の貴重な写真を鑑賞した。さらに銀座のソニーパークやビルの13階にある「大手町牧場」も見学。ヤギや羊、ニワトリなどが「都心の牧場」で飼われていた。「東京散歩」は二日間に渡り強行日程だったが楽しかった。元同僚たちとはまたの再開を約束して別れた。

 

ピンぼけ

 

「県展応募するぞー」

 

ア~ア~。今年もダメかな?

 

9月「石岡のおまつり」に出掛けたが納得いく写真が撮れなかった。県展に応募予定しているが果たしてどうなることやら。

 

腕試しと思って県展に応募しているが、これまで2勝2敗。応募者の半数近くが入賞する展覧会で決して”狭き門”ではないが五分の成績。それだけに落選は自分の力不足が身に染みる。

 

一般的に公募展には祭り写真の応募者が多く競争率が高い。二科展や三軌展など各種コンテストにそれぞれカラー(特色)があるように県展にも審査の傾向がある。写真部のある会員は「祭り写真は多いから余程インパクトが無ければ」と話す。

 

それならば別な視点で写真を撮って応募しようと思うが、これが一体何を撮るべきかサッパリ分からない。時代を切り取るセンスや、一瞬にシャッターを切る反射神経を自分は持ち合わせていないと自虐的になる。

 

公序良俗の精神に反する写真はタブー。増して盗撮や隠し撮りは論外。勝手に女性や子供の写真を展覧会や写真誌に掲載すれば肖像権の侵害で訴えられることもある。

 

これらは特異のケースだが、写真で見る人に感動を与える作品はどのようなものか県展応募前に考えさせられる。

 

ピンぼけ

 

「ここはあなたの土地ですか」

 

 クラブの撮影会で訪れた真岡鉄道折本駅の踏切でのこと。

 SLを撮るため三脚を立てカメラを構えていると突然、カメラの前に乗用車が停車した。

 踏切の警報が鳴り、間もなくSLが来るので「どけ」「どけ」と手を振って合図したが一向に動かない。そこで車に近づくと、運転席から若い女性が「ここはあなた土地ですか」と怒って言うのだ。

 アレレ、後から割り込んで来たくせに「一体何を言っているのだ。自分は折本駅の地主であるわけもないのに」と女性に不意を突かれ返す言葉も出なかった。肝心のSLの写真はシャッターチャンスを無くしてしまった。

 悔しいので女性に文句を言ってやろうとしたところ、車は急発進。フッと後部座席を見ると2人の子どもが乗っていた。女性は母親らしく子どもにせがまれSLを見せにやって来たのだろう。

 だが時間ぎりぎりに来て線路脇に車を止めたうえ、堂々とカメラの前に立ち塞がる行為は納得できない。一言謝って欲しかったが、立ち去る車を見て「子を思う母性がそうしたのだろう」と許せる気持ちになった。

 景勝地や祭り会場などで一部カメラマンの迷惑行為がテレビで映し出されたりする。どうやら同類に見られたらしい。改めてカメラマンとしての立ち居振る舞いに気を付けなくては…。誤解もされまい。

 

ピンぼけ

 

雨の佐原秋祭り

  

 昨年9月の千葉県香取市の佐原秋祭り。”水郷の小江戸”と呼ばれ古い町並みが残る小野川沿いで繰り広げられる祭りはカメラマンにとって絶好の被写体が数多くある。

 私は筑西市内の写真講座のバスに便乗して参加(勿論交通費は実費)で3回ほど訪れたが、昨年も一昨年も雨に祟られた。

 車中、降り続く雨をよそに講師の長谷川先生いわく。「今日は絶好の写真日和ですね。」皮肉にも聞こえるが路面が、カンカン照りよりもしっとりとした良い写真が撮れるというのだ。

 まずは名物の鰻で腹ごしらえ。いつも行列で食べられなかったが、今回は雨のお蔭で行列もなく鰻にもありつけた。

 昼から夕方にかけて雨は降り続け、傘を差しての撮影だったためカメラは濡れ、ジャケットも水を通しシャツまで冷たくなりすっかりやる気ナシ。コーヒー、お汁粉、甘酒を飲みながらダラダラ雨宿り。

 ところが、夕闇が迫り小野川沿いに街灯が点くとあたりが一変した。白壁の蔵や柳が川面に映り、水溜りの路面が街灯で光り幻想的な光景が出現。提灯を持った世話人を先頭に文化遺産の山車や祭り衣装を着けた子供、艶やかな女子の踊り手が続き錦絵巻の世界が目の前に広がった。

 勿論、絶好の被写体に夢中でシャッターを切った。この1コマを一緒に訪れた仲間の一人が市の写真展に応募。見事に大賞を射止めた。まさに写真は一期一会。雨にも長谷川先生にも感謝・・・

尚仁沢

ピンぼけ


  九月初旬、栃木県塩谷町の山間を流れる尚仁沢の光芒を撮りに出かけた。

 尚仁沢は全国名水百選に数えられる湧水群で水温が夏でも11度前後と低く、大気との温度差で沢霧が発生し易く、晴れの朝には「金色に輝く光芒」が撮れる名所になっている。

 今年は天候不順などで7、8月の絶好の機会を逃したので、ダメ元で今回出かけたが案の定光芒は出現しなかった。

 実は尚仁沢には20数年前1、2回出かけたことがある。当時、尚仁沢はカメラ雑誌や写真コンテストなどで発表され有名になり、当クラブの会員たちも光芒撮りに熱中した。

 だが久々に訪れた尚仁沢は大分様変わりしていた。東電の福島原発事故にからみ湧水源付近の山林が放射能汚染物質の最終処分地の候補に上り、道筋には「処分地建設断固反対」「尚仁沢の自然を守ろう」など多数の看板が立ち並んでいた。そこには住民たちの真剣な訴えが伺い知れる。カメラマンとして環境問題を考えさせられる光景を見た。